文字サイズ標準拡大

お知らせ

2018年1月20日

2月4日(日)「宇崎竜童 弾き語りライブ 2018 JUST VOCAL JUST GUITAR」出演の宇崎竜童さんに単独インタビューを行いました

宇崎竜童インタビュー

「弾き語りライブは僕の45年の音楽活動を凝縮させたものです!」

(ホ)2月4日、やまと芸術文化ホールでの公演、よろしくお願いいたします。

(施設ガイドを見せながらシリウスを紹介)

(宇)おお!なんか立派な建物、立派なホールですね!なんだかアコースティックな感じですね。楽しみです!

地方都市の魅力

(ホ) 大和市は東京からも横浜からも近い、神奈川の県央にある街なんです。

(宇)地方都市!それは別に悪い意味じゃなくてね。東京の真ん中はコンビニと外資系とか、ほんとに"ジャストビジネス"な感じになってきていると思うし、例えば渋谷なんかは子供の街、新宿は大人の街、池袋はなんか夜の街って(笑)・・・・っていう・・まあそんな風にそれぞれ偏見持っているんだけど、23区以外はあまり都市化しないで、商店街なんかが頑張っていたりとか、なるべく「代々」を受け繋いでいこうっていう意識があるのが地方都市の良さだと思いますね。

グローバルでバリアフリー!

(ホ) 大和市の方々は皆さん表現するということに対して、種類やレベルの違いはあっても非常に積極的で情熱的なんです。そこも他の大都市と比べて少し違うところかなと感じます。

(宇)おお~!大和市のそういう活動の中心になっているのは、もしかしたら5、60代やそれ以上の世代なのかな。そういう世代ってちょっとヤバイんですよ!わははは! 基地があったりするところって、広い意味でグローバルだと思うのね。懐が深いっていうか・・。グローバルでバリアフリーなのよ!!だから不良だろうと学者だろうと、みんなフリーなのよ。フリーな感じでいろんな事を受け止めることができるんですよ。だから普通のお年寄りとはちょっと違うかもしれないですね。

サラリーマン時代① ~大学から商社に就職~

(ホ)宇崎さんの経歴を拝見しますと、いろんなお仕事、マネージャーなどもされていたということですが、当時、自分が表舞台に立つことになるとは想像していましたか?

(宇)ああそれはね、ある時期を境に・・・ですね。それまでは思ってなかったし、"ねばならない"と言うマインドに絡み取られてました。大学を出るまでは、「親の言うとおりの職業に就こうかな」と思ってましたね。だから先生に「何になりたいですか?」と聞かれたら、なりたい職業はあったけど、憧れの一つでしかなかったですね。親の顔を見れば「ちゃんとサラリーマンやってね」と言う顔してたし。中学3年の時に家が倒産して「あなたを高校にはやれないかもしれない」と言われていたのに、ちゃんと大学まで行かせてくれて、授業料を出してくれているわけだから、親の言うとおりの職に就かねばならないと、大学卒業間際までは思っていました。

それで、大学4年の夏に何をやっている会社かも知らずに、「受かっちゃった」ってだけで就職したんですよ。商品取引の会社でセールスです。株みたいなもんですよ。それで、例えばコップやテーブルなんていう目に見えるものを売るのではなく、ゴムだとか生糸だとかという、今実際に目に見えていないものを証券みたいな紙1枚で取引していかないといけない。これって大変なことなんですよ。それで、1ヶ月やってみて、「あ、これは僕には向いていないな。」と思って辞めました。

サラリーマン時代②~プロダクションで事務員~

辞めて、義兄が新設した出版社に「お前は法学部出身だし、著作権のこととか詳しいだろ」ということで入社しました。全然詳しくないんですけどね。(笑)まあ、中学のときから音楽もやってたから、楽譜も読めるし曲も書いてるようだし、ぴったりだって言うので、拾ってもらったんですね。そこから音楽の世界に入ったんですけど、その時もあくまでも「裏方でいよう」って思ってました。裏方で真面目に働こうって。そこは、忙しくてプロダクションの仕事もやってたんですね。そのうちにどんどん曲ができてきちゃって。「この曲どうしようかな~」って思ってたら、もっと大きな出版社のスタッフが「うちに録音機材があるから、それで録音したら僕が売り込んでやるよ」って言ってくれたんです。その彼のおかげで、アマチュア時代に既に何曲か曲を書いて録音したんですよ。

その頃、「ああ、僕はいろんなことをやってきたけど、音楽が一番得意なんだろうな。だったらこれで食っていこう」って思ったんです。それに、曲を書くと言う作業は全くつらくないんですよ。他のスケジューリングとか電話受けなんて作業は全部つらいのにね。

ほんとにその会社にはものすごい損害をもたらしてるんですよ。(笑)初めてマネージャーみたいな仕事で、外国人アーティスト20人ぐらいを羽田から北海道に飛行機に乗せるんですね。自分も乗ったことなかったし、航空券でチェックインしないといけないことを知らずにゲートに直接行ってしまって。当然乗れないですよね。ゴールデンウイークで他の切符も取れずに、結局ドタキャンですよ、昼夜2回公演!でもね、一言も怒られなかったんです。たぶん僕の先輩マネージャーが怒られたと思います。「ちゃんと教えてないだろ!」ってね。

デビュー決意と泉谷しげる

そんな感じで働きながら、就業時間後はプロダクションにスタジオがあったので、そこで毎晩テープ回しながら曲を書いていましたね。そしたら3,4年後、そのプロダクションは吸収合併されて。その後1年ぐらい働いたんですけど、「あ、やっぱりだめだな」と思って。弾き語りを始めて銀座、秋田と横浜で1年ぐらいかな。そしたらそれをブッキングしてくれてた人が誘ってくれて、また新しいプロダクションで裏方として働き出したんですね。

所属のバンドが6,7つライブをするコンペンションみたいなのを開いたんですよ。そしたらそのバンドが全部、コピーバンドだったんです。見に来てるのはレコード会社や事務所の人で、「オリジナルが欲しいから、お前、ちょっと歌ってくれない?」って言われて。3曲ばかり歌ったら、僕のところに3社も来た。(笑)それは別に僕が歌がうまいとかじゃなく、オリジナルを欲しがってたんだと思います。そういう時代だったんだと。そのころはちょっと歌が歌えて、曲が作れたらレコード会社の人間も闇雲に当たってましたから、その中の一人と言う感じだったんですよ。僕もスタッフとしてレコード会社とも付き合いがあったし、どういう考え方でどうやってスカウトしていくのかと言うのも見てたから、「どうかな~・・・?」と思ってましたね。「僕は作曲家にはなりたいけど、歌に自信はないし、パフォーマンスもできないし、踊りも踊れない、しかもこのルックスじゃな~・・」と思って、お断りするつもりで一晩考えさせてくださいって言ったんですよ。

それで、一晩中洋楽やら、ロック、邦楽、いろんなレコードを聴いて、たまたま泉谷しげるのレコードがポトンと落ちたんですよ。最後の最後に。神の啓示じゃないかと思います。(笑)彼は僕の1年前にデビューしてるんですね。僕は自分のルックスに自信がないんだけど、泉谷のジャケットを見たら、「あれ??いいんだ!泉谷がデビューできるんだもんな!(笑)」って。

もうね、ほんとにいろんなレコードを聴いて、最後の最後に泉谷のレコードに針を落としたんです。「・・・鼻歌じゃねえか!(笑)このルックスで鼻歌で自分の作ったものを自分で歌ってる。これでいいんなら、僕もいいのかなって・・・(笑)」それで翌日レコード会社に電話して「やらしてもらいます」って言ったんですよ。

でも結局、その時声をかけてくれた会社からはデビューしなくて。これがまた不思議なの。もうね、そういうルートになってんだろうなと思うんだけど、コンサートシーズンって、所属バンドのスケジュールが全部埋まっていても、どんどんオファが入ってくるんですね。でもお断りするのは切ない。「じゃあもう僕がバンドやろうかな」って、学生とか集めてエレキバンド作ったのがダウンタウン・ブキウギ・バンドの始まりなんです。いろんなパーティーとかに出て、ロックンロールとか、ブルースとかやって、まあそうやって会社にお金を落としてたわけですね。(笑)そんなことやってるうちに「やっぱりこのバンドをちゃんとレコーディングに持っていこうかな」と思って学生たちに言ったら、みんな嫌がって。みんなまともな人間だったんですね。(笑)みんな潮が引くようにさぁっと散ったので、「じゃあちゃんとプロを集めよう」と言うことでできたのが、ダウンタウン・ブキウギ・バンドなんです。

でね、初顔合わせで自己紹介した後、最後にみんなが僕に聞いたの。「で、ボーカルは誰ですか?」って。(笑)誰も僕とは思ってないのよ。やっぱりそういうルックスしてたんでしょうね。シンガーのルックスじゃないんですよ。どうみてもマネージャーなんですよ。きっと他の人達はちょっと不良がかったあんちゃんで、その中で僕は唯一スクエアな「サラリーマンやってきた」って顔してたんでしょうね。まあ僕が全部面接して段取りつけて「よろしくね」って言ったわけだから、みんなマネージャーって思いますよね。

でも僕、ロンドンブーツ履いてたんですけどね。(笑)

音楽の神様

(ホ) これだけ長い間、第一線でご活躍されてきて、趣味でもトランペットを演奏されるなど趣味も仕事も音楽ですが、モチベーションを保つために何かしていることはありますか?

(宇)今日も趣味!僕、趣味でやってんだから!(※インタビューは公演前に行われた)趣味を仕事にしてくださってるわけですよ!もうね、音楽の中にいればもう御の字なんですよ。僕は、あれやってもだめ、これやってもだめ、肉体労働から営業から販売、ほんとにいろんなアルバイトや仕事をしてきたけど、全部だめってのがわかったんですね。全部その気になれない。そしたら、これしか残らないじゃないか!って。

(ホ)楽しみながら一級品が出てくる、ってすごいことですよね。楽しんでいるからこそ出てくるのかもしれませんが

(宇)これ僕が自分で作ってるんだけど、自分でやってないんだよね。僕はただの媒体だと思ってる。曲を、「俺が書いてるか?ほんとに俺が書いてるか?」って考えたら「あ~、俺、書いてないな」て思うもんね。

(ホ)じゃあ誰が書いてるんですか??

(宇)もう降って来るんだよ。見える人には見えて、聞こえる人には聞こえるんだと思うんだけど、ミューズ、音楽の神様が上から音符を地上に向けて振りかけてるんだと思う。で、僕は手を出せばそれが乗るんですよ。音符が。でも手を出しても音符が乗らない人もいるわけですよ。そういう人は違う職業をやるべき役目として生まれて来てる。で、僕は、役目として音楽をやる。そういう星の下に生まれたんだと、勝手に決めてる。だから、手を出して乗ったものを五線紙の上に撒けばいいだけ。

だから、作曲:宇崎竜童って書いてもらうことがすごく申し訳なく思うわけ。僕が印税もらっていいのかなぁ?みたいな。(笑)ほんとはそういう気持ちなの。でも肉体ってのはややこしいもんで、やっぱり自分の中で作ろうとするんですよ。経験も一杯あるし。

だからまずは自分の引き出しとか、センスとかを頼りにメロディを書こうって思うんですよ。それは毎回、どんな曲でも。でも「そんなことする前にお前、いい音符を落としてくださいってお祈りすればいいんだよ、お祈りして手の上に落ちたものを書けばいいんだよ」とも思うんですよ。

1日1曲のノルマ

アスリートって、例えば何時間もリンクで滑って、振り付けして、それからトレーニングルームで足腰鍛えてって、みんなやってるわけですよ。音楽家だってそれをやるべきだし、やってる人も大勢いる。1日何時間かギターを弾いてからじゃないとステージに上がる気になれないとか、オフの時もギター弾いてる、楽屋でもぎりぎりまでギター弾いてるとか。それがミュージシャンなんですよ。

ところが僕はしてるかって言うとやってない。こうやって本番前にべらべら話してるんですよ。口先男ですよ。(笑)でもホントは歌う努力とか作る努力とかってのをしていないと「いい音」は落ちてこないんですよ。もちろん手を出せば音はとりあえずは落ちてくるんですよ。でも「それ3年前に作った歌だよね。」って阿木に言われちゃうんですよ。(笑)ああそうかなって。やっぱり人間として好みみたいなのが仕上がってきちゃうんですよね。宇崎っていう音色が。そこから脱出しないと、やっぱり新しい音は出てこない。だからやっぱり最初は自分の引き出しから出して曲を書き出す。でももう自分でも解るんですよ。「これどっかで聞いたな~とか、これはもう20年前のメロディだなあって」って。だから、毎日1曲書くっていう「かせ」を自分の中につけてるんですね。でも毎日1曲なんて書けるわけないので1小節とか2小節って事もある。2音ってこともある。ただそれでもキーボードの前に座って音を出して、音符を書いてメロディを一応出すってことでノルマを課さないと、たるんだ曲ばっかり作っちゃうんだよね。

(ホ)昔作った曲を今聴いてみて、その当時に感じていたことと印象が違うなってことは有りますか?

(宇)印象が違うって言うか、「うおぉ~!」って。「おもしれえ曲書いたな」ってことは感じますね。今、これに匹敵する面白い曲書いてみなって言われても、たぶん、そういう面白い曲を紡ぎだしてくれる「詩」が来なければ書けない。今は曲が先行なんですよ。80年代までは詩が先行だったの。阿木の詩が既に歌になってるのよ。僕が書かなくてもプレイバックはああいう曲になった。だから作曲 宇崎竜童ってのはちょっと申し訳ないと思ってる。(笑)

僕はこれ(作曲)は生きてる間中のお役目だと思ってるんですよ。欲望じゃなくて。

ライブ、楽しみにしています!

確認用.jpg